あなたは「共働き」でストレスを抱えている方、仕事と子育てのバランスのとり方に悩んでいませんか?共働きのライフスタイルに悩む女性の多くが「楽しんで働く」ことや「楽しんで生活する」という感覚を持てていません。
働くことの目的と、その奥にある自分の生き方に目を向けることで、仕事と育児のバランスのとり方が上手くなっていくのではないでしょうか。母親の働き方や、家庭の中のバランスをとるためには「母親の罪悪感の解消」が大きなポイントになることがあります。
筆者は、2011年から学歴や資格がなくてもできるライターの仕事を始めました。「在宅で少しでもお金が得られれば」という理由から始めた仕事ではありましたが、継続していく中で、カウンセラー資格取得、メディアの編集者や運営、書籍の出版にまで携わるようになりました。この記事では、母親の働き方について筆者の実体験を通じた「働くことへの罪悪感」を捨てる考え方についてお伝えしていきます。
生活の余裕を増やすためにパートに出たのに……
8年前、私は3歳の息子を抱えながらパートをしていました。職場では、子供の病気による突然の欠勤や、幼稚園からの呼び出しに頭を下げ続ける日々。朝、子供が少しでも咳やくしゃみをすると「仕事に行けないかも……」と思いドキッとします。片道30分自転車を漕いで仕事に出かけ、帰宅したころにはクタクタで、食事もろくに作れない。子供は疲れで癇癪を起こし、ご飯もお風呂もそこそこに、泣きながら眠ってしまいます。
いちばんつらかったのは、子供が風邪をひいたときに、子供の体調する前に「仕事の心配」が先にきてしまったこと。職場に欠勤の連絡を入れる憂鬱や、職場の上司からの言葉などを想像して、その不安を子供に「イライラ」として向けそうになることでした。
この頃の私は「自分の生活を、自分でコントロールできない」という無力さと日々戦っていたように思います。
「何のために働くか」という意識
私が普段「主婦」として交流しているお母さんたちを見ていて、顕著に感じること。それは「何のために働くか」という部分が見えているか見えていないかで、日々のストレスは大きく変化するということです。
私の場合、子供を幼稚園に入れているため、多くが夫婦そろった家庭で、極端な貧困や特殊な事例ではないケースがほとんどです。多くが持ち家を構え、自家用車をもち、子供の持ち物や身なりも「そこそこ」という印象を抱いています。何不自由なく暮らしていても、母親は外に出る機会を求めているのです。そして、私もそのうちのひとりです。
根本的には「お金のために働きたい」わけではない
私は「お金のために働く」という考え方を一度振り返って考える必要があると感じています。「共働き」という形である以上、働くことの目的を突き詰めて考えることは重要です。
例えば、私の母親は、私を育てている頃「お金がないから働いている」と言っていましたが、実際のところムダな出費や、自分の価値を高めるための出費が多いという問題点を抱えていました。子供に必要以上の教育資金を費やし、家や車、被服代、外食費など、さまざまな面で必要以上のお金を掛けていました。
「お金が欲しい」のはなぜか。なぜ、今の収入だけでは成り立たないのか。お金のために働くという選択肢が浮かんだ場合、まず先に「何にお金を使っていて、今後どのような家計プランを組んでいきたいのか」ということを考えることが、実はとても大事です。
現に、働きに出ているお母さんたちの中には「働きに出たら出たで、便利な宅配食材の利用や外食の機会が増える。気分転換での外出も増え、必然的に出費は増える。」と話す人は少なくありません。
女性が働きに出る必要はない、とは絶対に言えません。しかし、本当に「お金のため」ならば共働きを選択するだけが方法ではない、とも思うわけです。
もっと自分が活躍する場が欲しい、家庭や子供関係以外での「自分」を確立したい。だから働きに出ているわけですよね。日本のワーキングマザーの多くが、根本的な部分ではお金のためだけに働いているわけではないのです。
母親である女性は、働くことに罪悪感を抱えやすい
多くの母親は「自分が楽しむために仕事をする」ことに対し、無意識のうちに罪悪感をもっています。
本当は、母親である自分が家計を切り詰めて生活レベルを下げれば、働かなくて済む。子供に寂しい思いをさせずに済む。でも、私の人生はそれだけではないはず……。突き詰めて考えると「母親」という顔意外に「自分」の顔で活躍したいというのが根本的な目的なのです。そんな目的で仕事をしたっていいし、現代ではそれを賞賛する考え方が主流になっています。しかし、多くの女性の無意識の中には「母親である以上、自分の人生を楽しんではいけない」という思いが根付いています。その固定観念が「楽しんで仕事をする」という発想を邪魔するのではないでしょうか。
一般的に男性は、働くことに罪悪感をもっていません。日本では、立派に仕事をして家族を養う男性は、それで自信を保っているケースが多いです。一方母親である女性は、働くこと自体に罪悪感をもちやすい。この感覚の差が非常に重要なポイントなのではないかと、私は考えています。
母親の罪悪感は、家庭の人間関係や感情のコントロールなどに大きく影響を与えます。さらに、共働き家庭のネックである夫婦間でのやりとりや、協力体制にまで波紋をもたらすのです。
働く母親の心は「自責の念」から「自己犠牲的」な考えに発展しやすい
母親が「母」や「妻」としてではなく「自分」として世間と関わりたいのは、自分の人生を楽しみたいからです。人生を楽しみたい、外に出て母親以外の顔をもちたい。根本的にはその気持ちで働いているのに、まるで自分の人生をコントロールできている感覚がありませんでした。
仕事で疲れた顔を、夫に見せないように。子供の前ではいつも笑顔でいよう。妻として、母親として、当たり前にすら思えるこの感覚が、家庭全体を苦しめていたとは、その当時まったく気づきませんでした。
私のように、仕事と育児のバランスが取れないと悩む母親の多くは「器用にできない私で申し訳ない」という感覚から始まり、「自分が犠牲になっている」という思いに派生していきます。
自責の念が強いとどうなる?
- 仕事で疲れていて子供に申し訳ない
- 器用にできない自分でごめんなさい
「できない自分でごめんなさい」「もっとうまくやらなくちゃ」という自責の念を抱えている人は、夫や実家に協力を要請することができません。できるだけ自分で解決しようとして、ストレスが雪だるま式に膨れ上がっていきます。
心にはたくさんの問題や悩みを抱えているのに、表面的にはそれがわかりません。そのため、夫や家族は「そこまで協力しなくても平気そうだ」「しっかりしているから大丈夫だろう」と判断してしまいます。本当は、極限までやることや疲労がたまっているのに「できる自分になろう」とし続けているので、限界まで無理をしてしまうのです。
被害者意識が出てくるとどうなる?
最初は自責の念である「できない自分でごめんなさい」という気持ちから頑張っていても、それはやがて被害者意識的な考えに変化します。
- 家庭のためにお金を稼いでいるのに
- 子供のために我慢しているのに
- 仕事の後も子供の世話で休めないのに
家族に対し「私がいちばんつらい思いをしている!」「私がこんなに我慢しているのに、なぜあなたは何もしないの?」という考えが強くなります。すると、夫に対しての要求が強くなったり、口調や態度がキツくなったりしがち。必然的に夫婦間の衝突も増えます。
この一連の心の動きは、私が「仕事と家庭の両立」で悩んだときの実例です。私自身が「完璧に、仕事と家庭の両立を目指そう!」と張り切りすぎている反面、その負担の大きさや心の中にある思いは、周囲に全く伝わっていなかったのです。
伝わっていないから、夫もわからない。夫が理解してくれないと、さらに批判的になり、心を閉ざし、守りに入る。この夫婦間の構図は、他の家庭でもよく起こる衝突のパターンではないでしょうか。
「働く目的」を考え直したら、全てのバランスが整った
私は今から8年ほど前に、パートをやめて文章を書く「ライター」の仕事を始めました。好きで始めたというよりは、そのときの自分にできる仕事が、これ以外になかったというのが正確な動機です。
本当に大事なのは、お金を少しでもたくさん稼ぐことよりも、家庭の中の雰囲気や余裕が安定していることなのではないか。そう考え、パートをキッパリとやめて「在宅ワーク」という選択肢をとったのです。
在宅ワークといっても、ほとんど未経験で特別なスキルもほとんどなかったため、月に稼げるお金は減りました。それでも、家庭の中はこの頃から劇的にバランスがとれはじめたように感じています。
発想をガラッと変えることで「楽しんでもいい」と思えるように
心のどこかで「母や妻としてではなく、自分として活躍したい」という思いを眠らせていたのに、実際働きだすと「子供や家庭のために、好きでもない仕事や家事を頑張ってやらなくちゃ」と思いが強くなる日々。それが一転、収入の金額を下げてでも「自分の生活に合ったスタイル」に変えたことで、みるみる仕事をしている自分への罪悪感が減ったのです。
罪悪感というのは自覚しにくいけれど、非常に強い力をもっています。
- お金を稼がなくてはならない
- 家事も育児もしっかりやらなければいけない
- 夫に頼りすぎてはいけない
- それらをうまくコントロールできない自分
そのときの状況では何もコントロールできないし、バランスはどんどん狂うばかり。だったら、稼ぐ金額が減ってもいいから「何のために仕事をしたいのか」をもう一度考え直すことにしたのです。
お金は付加価値であって、本当の目的は「母親の心のバランス」や「母親の居場所の分散化」だったように思います。融通の利く在宅ワークといっても、通勤する仕事とは違った面での制約が生まれます。仕事を獲得するためには営業や、資格取得、書籍やネットの情報に対し常にアンテナを張る必要があります。自宅が職場ですから、オンオフの切り替えも難しい。子供が幼稚園や学校を休めば、仕事はほとんどできません。すると、睡眠時間を削って夜中に仕事をしなければならないという新たな課題もありました。
ワークスタイルが変わっても「家族のやめにやっている」「うまくコントロールできない」と思えば、自責の念や被害者意識に見舞われます。つまり「楽しんで暮らせない」という状態であれば、どんな仕事でも結果は同じなのです。
私の場合、パートと在宅ワークで根本的に違ったのは「自分が楽しんで暮らしているかどうか」という点だったのです。
バランスを保つには「母親が働くことへの罪悪感を捨てる」
タイムテーブルを細かく決める、やることリストを作る、家事代行サービスを賢く利用する……。そういった細かいテクニックの面で、特別決めてやっていることは、私にはほとんどありません。しかし、仕事をしている自分に対し、罪悪感はまったくもっていません。
細かい部分は、各々の家庭環境や子供の人数、家系状況や実家の支援の有無など、さまざまな部分で大きな違いがあります。
しかし、大部分で共通していえることは「母親が働くことへの罪悪感を捨てる」という考えです。
収入を増やすことや、人並みの生活水準に合わせること、または人並み以上の暮らしを目指すことが、家庭にとって大事なことではありません。母親が働くことや、人生を謳歌することを「素晴らしいこと」として捉えていくだけでいいのです。
根本的な「罪悪感」に気づいて意識を変えていくことで、家族の会話が増え、がまんが減り、本当の幸せが見えてくるということも、大いにあるのではないでしょうか。