育児と向き合う

2歳差育児が一番辛い時「私が欲しかった言葉」と必要だったこと

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この記事を書いた人
いしみほ さん【育児コラムライター】

社会福祉学を専攻し、保育士・幼稚園教諭の資格を持つ育児コラムライター。社会福祉学部では「家庭環境ごとの子どもへの支援の必要性」や「北欧各国の福祉と教育」を学んだ知見を活かしコラムを執筆。2人のお子さんを育てながら、執筆の他にハンドメイド作家(タティングレース、イヤリングなど)としても活動中。

可愛い、愛しい我が子でも「もう無理…」と涙が出るほど大変な時ってありますよね。特に育児や子育てを生活の中心にしていると、社会との接点も少なく、孤独に押しつぶされそうになることがあると思います。
今回は私が2歳差育児で一番辛かった時期のことを書き出してみて「2歳差育児の何が辛かったかのか」「どんな言葉をかけて欲しかったのか」気付いたことをお話したいと思います。

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「下の子が生まれて1年間」2歳差育児の何が辛かったか書き出してみた

私が育児で最も辛かったのは上の子が2歳半になって、下の子が生まれた後の1年間でした。
何が大変だったかと言われると細かくて書ききれないくらいですが、とにかく毎日を過ごすのが精一杯でした。

夜中は下の子の授乳があるのに、早朝には上の子に起こされる

まず大変だったのが「睡眠時間を確保できない」という問題です。1人育児の時は子どもが寝ている間に一緒に眠ることができましたが、2人育児ではそうはいきません。
3時間おきの授乳が終わった朝方に上の子にガンガン起こされます。トイレに行かせ、朝ごはんを食べさせ、着替えをさせ…と世話している間に下の子が起きてまた授乳です。
下の子がお昼寝をしてくれても上の子が同じ時間にお昼寝をしてくれるわけではなく、下手すると子ども達は日中に交代制で寝るので休む暇がありません。
細切れ睡眠のまま1日を過ごし、夜になったらまた寝かしつけ、3時間ごとに授乳し、また朝方起こされる…という状態が数ヶ月続き、公園の砂場で座ったまま寝ていたこともありました。

上の子はイヤイヤ期真っ盛りで家にいても外でもストレス

下の子が生まれてしばらくは様子見で大人しかった上の子ですが、甘えたいという反動か慣れてくるとイヤイヤ期の行動が酷くなるようになりました。
特に睡眠時間を取っていない私は家でゆっくりしたいのに、パワフルな娘は「こうえんにいきたい!」「じどうかんいくー!」と毎日のように言い、それをなんとか言いくるめるのも大変でした。
ですが、根負けしてフラフラで公園や児童館に行っても今度は「帰らないー!」と公園で泣き叫ぶので、家にいても外に行ってもストレスで心が全く休まりませんでした。

嫉妬心剥きだしなのにお世話もしたがる

今まで親の愛情を独占した上の子は、日を追うごとに下の子への嫉妬が剥きだしになるようになりました。
授乳している時に「だっこー!」と言って下の子を押したり、寝かしつけている時に足元にひっついて離れなかったり、私が見てないうちに下の子を叩こうとして𠮟ったこともありました。
ですが、一方で下の子のお世話を手伝いたいという気持ちもあるらしく「おむつ、かえる」と言って割って入ってきたり、ミルクや離乳食をあげたがったり、自分の気分で行動してくるので一行に事が進まず私はずっとイライラしていました。

ご飯もお風呂もワンオペで「食べた気がしない」「入った気がしない」

夫は家事や育児に協力的な人でしたが、下の子が生まれたばかりの頃は忙しく、平日のお風呂やご飯は私が一人で担当することがほとんどでした。
外食やレトルトに頼りたい日もあったのですが、上の子が外食でお腹を壊してしまうことが多く、週末に大量の作り置きをしてなんとか乗り切っていました。
ですが、子ども2人の世話をしながらご飯を食べるので「食べた気がしない」というのが正直な感想です。
お風呂も同様で、上の子を洗い、下の子を洗ってベビーバスで待機させて最後に自分を洗って下の子を抱いて湯船に浸かるので、手を伸ばすこともできず身体はなかなか休まりません。
お風呂から上がるとまた2人を着替えさせて、歯磨きやドライヤー等の世話をして寝かしつけないといけないのでスキンケアもろくにできず、肌もボロボロになって私は10歳以上老けたような酷い顔をしていました。

子どもの泣き声や話し声、叫び声で心が休まらない

2人育児をしていると2人が同時に静かにしている瞬間というのがほとんどありません。酷い時は1日中2人の機嫌が悪く、朝から晩までグズグズし、泣き叫ばれている状態もあります。
また、下の子が寝ていても上の子は起きているので「あのねー」「うーんとね」と内容のない話を長々とされ、聞いてないと今度は怒って泣き出します。
ただでさえ、睡眠時間も少ない合間で家事をこなしているのに周りがずっと騒がしい状態だと、イライラして小さいことでも怒ってしまったり、上の子に「うるさい!」と当たってしまうこともありました。

親しい大人が近くにいない

地元を離れて育児をしていた私は夫以外にサポートを受けられる親族はいませんでした。片道7時間以上かかる距離だったので、当たり前ですが「ちょっと預ける」ことは不可能でした。
それでも両親たちが退職して人生の余暇を楽しんでいる雰囲気だったら数日お願いして頼めたかもしれません。
ですが、両親も義理の両親も仕事があったので「私は働いてもいないのに…」と引け目を感じ、言い出すことはできませんでした。
さらに、私は引っ越してすぐに下の子を妊娠して、つわりが酷く家に篭りきりになっていました。近所にはママ友どころか挨拶を交わせる人もほとんどいませんでした。

両親や子育て支援センターに電話をしても正論が苦しい

子育てが苦しい時、最初は実母に連絡することもよくありました。ですが、「旦那さん優しいやんか。私の時なんて…」というどうでもいい昔話をされたり、家事に手を抜いている様子を聞くと「そんなこともしてへんの?」みたいな言い方が精神的にきつく、徐々に連絡をすることもなくなりました。
また、あまりにも悩んで苦しんだときに一度だけ子育て支援センターに電話をしたこともあったのですが「ちょっとでも休んでいますか?」「頼れる人はいませんか?」「児童館等にお出かけされるといいですよ」という正論しか言われないので“それができれば苦労はないんですけどね…”という気持ちになってしまいました。
結局、まだこれ以上頑張りを強いられているように感じてしまい、それっきり電話をすることはありませんでした。

リフレッシュを1日もらっても自由に使えるお金がない

夫は平日こそ忙しいものの、休日になると2人の面倒をよくみてくれる人でした。そして時には「今日は1日何もしなくていいよ」と私を自由にしてくれることもありました。
ですが、そもそも働いていないので私が自由に使えるお金はほとんどありません。
夫に言えばすぐにお金を出してくれたと思います。でも、2人の子どもを見てもらってさらに「リフレッシュのためにお金を下さい」とはなかなか言い出せませんでした。
結局、独身時代に貯めておいたお金を使ってなんとか乗り越えました。
でも、たまりに溜まった数ヶ月の疲れを1日で癒ことはやはり無理があり、数日経つとまた暗い気持ちになっていました。

毎日が「泣いている」か「怒っている」かのどっちか

終わらない育児と睡眠不足の中で私の心は真っ黒いもので埋め尽くされているようでした。少しのことでも子ども達に当り散らしてしまったり、夫がいる時に「もう育児なんてしたくない!」と泣き叫んで家を出て、泣いたまま真冬の夕方の河川敷を何時間も歩いたこともありました。
育児ノイローゼについてスマホで何度も調べたり、精神科を探したりしていた時期もありました。
テレビで虐待のニュースが流れると“私もいつか可愛い子ども達を虐待してしまうのではないだろうか”と怖くなったことも何度もありました。

それでも可愛い我が子、寝顔に謝ってギリギリ持ちこたえる日々

怒ってばかり、泣いてばかり、文句ばかり本当に情けない日々でした。
そんな私でも「おかあさんだいすき」と求めてくれる上の子、日に日に表情豊かになる下の子…本当に辛い日々でしたが、二人が笑っている時は可愛くて愛しくて仕方がありませんでした。
「こんなお母さんでゴメンね」と二人を抱いて泣いていたこともたくさんありましたし、怒りが爆発してしまった日は二人の寝顔に謝って「明日はもう少し優しくするね」とそっと約束しました。

一番辛いとき私を引き上げてくれたのは「同じ状況の友人」

私が本当に辛かった時、辛い気持ちを救ってくれたのは親でも専門化である子育てセンターの人でもなく「同じ状況にいる友人」でした。
その子からたまたま共通の友人のことで高校時代以来の連絡があり、やり取りをしているうちに子育ての話になったというのがきっかけでした。
二人とも2歳差で子どもを産んでいて全く同じような状況で、お互いの話に共感し、気付けば丸一日LINEでやり取りをしていました
そして、その子と失敗談や苦労話した日 “あ、真っ黒い気持ちを持っているのは私だけじゃないんだ”“こんなに上手に家事や育児ができないのは私だけじゃないんだ”という安心感で心からほっとしたことを覚えています。

子育てで「お母さんが褒めてもらえること」って本当に少ない

思えば子育ては誰かに労ってもらったり、褒めてもらえたり場面が本当に少ないなってよく思います。
例えば、実家に帰ったとき子供がご飯を残さず食べたら「○○ちゃん全部食べれてえらいね」と祖父母に褒めてもらえると思います。
「こんにちは」って近所の人に挨拶をすれば「挨拶できてえらいね」って言われると思います。
子どもが良い行いをすれば「あなたはえらいね」って子ども自身が褒めてもらえます。
でも、そこには必ずお母さんの頑張りがあるからだと私は思うのです。ご飯も挨拶も子どもは最初からできるわけではありません。お母さんが教えたからできるようになることも多いのです。
それにもかかわらず、それを誰かが褒めてくれることはほとんどありません。

子育てが本当に辛い時は「共感」して「労ってもらえる」相手が必要

だからこそ、育児に疲れてしまった時は「正論」を言われる場所ではなくて、「共感」して「労ってもらえる」相手が必要だと私は思います。
「こうした方がいい」「ああしてみたらどう?」という提案をされても、心も体も疲れきっていて“もうこれ以上頑張れない…”と心が悲鳴を上げてしまいます。
お母さんに必要なのは子育ての辛さに頷いて「頑張ってるね」と言ってもらえるそんな相手を見つけることだと思います。

子育てが一番つらかったあの頃の私が「欲しかった言葉」

お恥ずかしいことをたくさん書いてきましたが、今改めて振り返ってみると「私も結構必死な状況だったんだな」と認識できました。
でも、当時は毎日が必死で自分のことなんて後回しでこんな状態でも「頑張らなきゃ」「私はお母さんなんだからしっかりしなきゃ」と自分をなんとか奮い立たせていました。
そして、私があの時欲しかった言葉は何だろうと考えてみました。

「お母さん、毎日本当に頑張ってるね」
「優しくできなかったり、何もできない日があってもいいんだよ」
「こんなに良い子に育ってるんだから、今日は手を抜いても大丈夫だよ」
「子どもも大事だけど、あなたもすごく大事なんだよ」

母親という役割はなかなか休みがありません。毎日毎日お母さんは十分頑張っています。
だからこそ、子育てに疲れてしまった時は自分を褒めて、労ってくれる言葉も必要です。誰にも言ってもらえないなら、せめて自分で自分を褒めてあげて下さい。
そして、「正論」ではなく、共感し労ってくれる相手や場所を見つけてみて下さい。

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